出世魚

By in Idle talk, foreign language on 2015-05-20
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出世魚というものがある。
同じ魚であるが、その成長の段階や体長によって呼び名が変わる魚のことである。なんでこんな面倒なものがあるか、不思議に思う方もいると思う。
結論からいうと、言語とはそういうものだから存在するのだ。

考えてみて欲しい。
米の形態が変わっただけに過ぎない「お米」と「ご飯」とに使い分けてはいないだろうか?英語ではともに「Rice」である。(「lice」だとシラミになるので注意。んなもんは食わない。)
また、英語を習ったときに、「兄弟」は歳が上だろうが下だろうが、どちらも「brother」である事に違和感を覚えなかっただろうか?

これらのように、生活に密着したものには複雑な形態を指す単語が生まれるのである。つまり、日本語圏では兄であるか弟であるかが重要であるが、英語圏では兄でも弟でも大差がない男兄弟に過ぎないのだ。

らくだが生活に密着している地方の言語では、「使役用のらくだ」「食用のらくだ」という単語が当然ながらある。これらは、日本語における「肉牛」「乳牛」と同じようなものだ。のみならず、「しゃがみこんだらくだ」や「草を食べるらくだ」などといった単語が存在する。
そういう単語が存在する事に違和感があるのであれば、相手は同じ程度には、存在しない事に違和感を覚えているのだ。
以上のことから、日本語の原形が出来上がった頃には既に魚や米を主食とし、年功序列という思想が(多分そのシステム自体も)日本に存在した、ということも言えたりするが、それはまた別の機会にゆずる。

思想の違いは言葉の違いである。
だから、英語圏では牛や豚は家畜で、くじらは友達。

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